手っ取り早く業界の構造や概略がわかるお手軽本。
結論。モバゲータウンがすごい理由はわかった。DeNAやauがケータイのUIにユーザー視点で可能なかぎりのこだわりを示したことで成功につながった経緯も理解できた。ケータイでネット接続からスタートした世代にとってはPCでのインターネットがまわりくどいインタフェースなのも頭では理解できる。だが一ユーザーとして我が身を省みたとき、私は(ケータイのUIが劇的に進化しないかぎり)PCでインターネットを使うおじさんで居続けるだろう。生産性が段違いなのと、これ以上あほになりたくない執着心から。
もとよりケータイが日常的に蔓延する光景についてはかくも批判的なので、ケータイのUIに特化したインターネット利用というのはいたずらに制約を増やして不便だと思ってしまうしなにより一画面あたりの情報量が少ないのは活字好きにはちょっと耐えられないもので。制約のきつい画面でちまちまと使うのは小二に合わない、もとい性に合わない。あとそもそも携帯ゲームとか人前でやるものじゃないと思うなり。大きいお友達が電車とかで一心不乱にDSとかPSPとかケータイとかでゲームしてるのは思考放棄して正面からひまつぶししてるさまを堂々と開陳してそれを恥じぬ点においてあまりに目を覆う日本の美しい光景。ゲームしてる暇あれば本一冊読めるのだが。もっとも家とか公衆スペース外ではゲームしてるので美意識の閾値の問題だけなのかもしれんけど。携帯でゲーム「も」いいけど、携帯でゲーム「だけ」だと間違いなくあほになるよ。ケータイ小説とか、脳で書いてるとは思えない簡素で空疎な垂れ流しテキストばかりみたいだし。(参考→http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1016819.html)
以上基礎教養が致命的に足りてない私がいうのだから間違いない。
話がそれた。ともあれ携帯のUIがPCなみに進化する(なんてことあるのか)ことでもない限りPCでインターネットという基本スタンスは崩せない(でも携帯版Wikipediaは本当に暇なときには最高のひまつぶし)わけだが、よく考えるとPCの画面を見る時間が異常に長いのはケータイの画面を眺めてばかりなのと端から見て異常度はたいして変わらん気もするのでほどほどにしないといかんのかもしれないとか一方で思うわさ。
文句垂れつつ見てたにくにく動画
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